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築城奉行日記

【歴史博物館編】
尼崎城築城までの道のりを築城奉行として紹介した連載「築城奉行日記」。お城の完成から1年。2020年10月に、お城の近くになんと歴史博物館が開館します。次はこの歴史の館ができるまでをお伝えします。

リニューアルされた館の入り口。実は尼崎城の天守はここに建っていました。

 尼崎城から東へ少し歩いたところにその館はあります。1938(昭和13)年に尼崎市立高等女学校(市立尼崎高校の前身)の校舎として建てられた歴史的な建造物が、2020年10月の開館を待っています。リニューアル工事では、竣工当時の彩色や意匠が一部復元され、建物自体が尼崎の歴史を今に伝えます。


飾り窓やひさしのガラスブロックなど細部に近代建築の趣を残しています。

尼崎に集った歴史のプロたち

 構想は1986年、市制70周年の年にまでさかのぼります。「尼崎が変わる」というテーマで発表された記念事業として、歴史博物館の建設が打ち出されました。この年の4月に、博物館の専門職である学芸員として尼崎市に採用されたのが桃谷和則さんです。大学では日本近代史を学び、当初は教員を志していた桃谷さん。「尼崎で歴史博物館が5年後に開館するので学芸員を募集していることを知り、採用試験を受けました。学芸員というのは募集枠がとても少ないんですよ」と当時を振り返ります。


繰り返し補修されたスクラッチタイルから建物の歴史を解説してくれた桃谷さん。

 この年、たった一人の採用枠という狭き門をくぐり入庁して取り組んだのが、どんな館を作るかを考えること。「図面を見ながら展示のレイアウトをいくつも考えました。ゼロから作り上げる仕事は楽しかったですね」と、桃谷さんは尼崎ならではの歴史博物館のあり方を探りました。「尼崎は工業・公害といった固定化されたイメージだけでまちが語られていましたが、実は深くて長い歴史があり、それを市民や他都市の方々にも知ってもらうのが歴史博物館の役割と考えていました。入庁してすぐに尼崎第一・第二発電所の解体現場の調査を行い、タービンなどを関西電力から寄贈してもらったのが、そのころの一番の思い出ですね」といいます。


歴史博物館の産業資料展示室に展示される尼崎第二発電所のタービン等

 ここから尼崎市は毎年のように学芸員を一人ずつ採用することになりました。美術・工芸分野の担当者として、1990年に入庁したのが伏谷優子さん。大学院で古代中世の絵巻などから思想史を研究していた経歴を生かし、絵画や工芸品から歴史を読み解く学芸員として採用されました。


伏谷さんの解説は柔らかい語り口で思わず聞き入ってしまいます。

 時代はバブル景気の頂点。市は2億円の基金を立ち上げ、博物館におさめるコレクションの購入を学芸員たちに指示しました。とはいえ、一体何を買えばいいのか。伏谷さんの最初の仕事は美術・工芸資料の収集方針を作ることでした。尼崎城があった江戸時代を中心に、尼崎ゆかりの画家や尼崎に絵を残している人の作品、時代の風俗を伝える絵画、当時の生活がわかる工芸品といった収集方針を作る中で、伏谷さんが注目したのは一人の女流画家。「清原雪信という数少ない狩野派の女流画家が、修業中に尼崎藩士の子弟と駆け落ちし、尼崎で亡くなったという逸話があることを、郷土誌から見つけたんです」。こうして開館準備に向けて収蔵資料の充実を図り、2万8千点にも及ぶ博物館資料を収集するに至りました。


清原雪信筆貴妃化粧図(きよはらゆきのぶひつきひけしょうず)

館がないからできた学芸員の仕事


 一方、肝心の建物の建設は困難をきわめていました。建設予定地(現在の尼崎城前の広場がある一帯)の取得が難航し、さらにバブル景気が崩壊し尼崎市の財政が悪化します。1995年には阪神・淡路大震災により敷地に仮設住宅が建設されることになるなど逆風が吹き荒れ、建設事業は2001年についに休止。待望の歴史博物館は幻となったのでした。


 歴史のプロフェッショナルはそれでも「館がなくてもできること」に積極的に取り組みました。尼崎市総合文化センターや尼信会館で、収蔵資料を活用した展示会、市民向け歴史講座などを開催すると同時に、特に児童生徒向けの体験学習のプログラムに力を入れてきました。桃谷さんが尼崎の歴史が学べる教材として注目したのが、公害患者や郷土史家の手で復活を果たした郷土野菜「尼いも」。苗づくりから小学校や幼稚園への出張授業まで「尼いも先生」として活躍します。伏谷さんは綿花栽培や綿から糸を紡ぐ体験を通じて、尼崎と綿との深い関わりを学ぶ授業を作り上げました。


子どもたちの体験学習を支えるボランティアのみなさん

 2009年には、立花小学校の一角に所在していた文化財収蔵庫が、長き歴史を持つこの校舎に移転。小規模ながらも丁寧な企画展示を開き、体験学習や埋蔵調査での出土物を整理するボランティアは総勢80人を数えるようになりました。「館の意義は、お宝を保存して見てもらうことではありません。連綿と続く地域の歴史を市民とともに学びながら、愛着を持ってもらうことが大切なんです」と桃谷さんは語ります。


真新しい白い壁がまぶしい廊下。桃谷さんと伏谷さん。

 尼崎城の再建が追い風となり、こうした地道な活動が実を結ぼうとしています。2020年10月、悲願の歴史博物館として開館することになりました。「準備はずっとしてきました。でももうちょっと早くできたらもっと体が動いたのに」という桃谷さん。当時採用された4人の学芸員はみなアラカン世代に。今は展示を作る作業や目前にせまった引っ越しの準備を進めています。

 尼ノ國では、歴史博物館に関わる人たちの取材を通じて、尼ノ民のみなさんと歴史の館のオープンを心待ちにしたいと思います。


回廊型校舎に囲まれた中庭には芝生が敷かれ、大きな桜の木が館を見守っています。

 1  歴史博物館 建設予定地
〒660-0825 兵庫県尼崎市南城内10−2(Google Map


第2回 自慢のコレクション見せてください

築城奉行日記「尼崎城開宴!」の巻!

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