尼崎でごきげんに暮らしたい人へ

築城奉行日記

【歴史博物館編】
尼崎城築城までの道のりを築城奉行として紹介した連載「築城奉行日記」。お城の完成から1年。2020年10月に、お城の近くになんと歴史博物館が開館します。今回はそのコレクションを見てみたい!と開館準備に忙しい館にお邪魔しました。

 「小学6年の授業では、縄文時代とあわせてもわずか数時間。弥生時代はすぐに通り過ぎてしまうんですよ」と嘆くのは田能(たの)資料館の責任者・酒井隆文さん。元小学校長という経歴から、この時代に関心を持ってもらう難しさを痛感していました。

 園田地区の北のはずれというアクセス。館内には石や骨や木…お世辞にも派手とはいいがたい展示物ながら、昨年から「どぐうちゃん」「田能家の人々」などキャッチーなタイトルの特別展や、「田能資料館のトリセツ」というガイド本を発刊するなど、近頃なにやら“攻めている”田能資料館を訪ねました。


資料館の庭には復元された住居や高床倉庫、墓を模した花壇などがずらりと並びます。

尼崎北東のはずれ。尼ノ民の願いで生まれた資料館

 阪急園田駅から北へすすみ園田競馬場へ、さらに猪名川を越えた北側に田能資料館はあります。2千年前の遺跡が発掘されたまさにその場所にある小さな資料館で出迎えてくれたのは、先の酒井さんと3人の学芸員たち。尼崎の歴史のはじまり、弥生時代のプロフェッショナルから古代のロマンを聞かせてもらいました。


(左から)学芸員の竹原さん、足立さん、湊さん。それぞれの専門分野から太古の歴史を探ります。

発掘調査の様子を伝える貴重な写真。中には考古学界の大物たちの姿も。

 まずは資料館の成り立ちから。この遺跡が発見されたのは1965年。配水場の建設予定地から大量の土器が見つかり、やがて弥生人の骨が発見され一帯にお墓が多数あることが分かり、弥生時代の貴重な遺跡であることが明らかになりました。調査人員が不足し、全国の考古学者や学生が調査の応援に駆けつける中、当時の尼崎市民は熱心に調査する若き調査員の姿や遺跡の価値に魅せられて、保存運動に動いたのでした。

 「子どもたちに尼崎が誇るべき遺跡を伝えたい!」という当時の尼ノ民のアツい思いがかない、1969年に国の史跡に指定され、翌年の1970年に田能資料館が開館したのです。


猪の骨を手にして解説する足立さん。好きな骨は「頭蓋骨」だそうです。

土器骨、石、木片から古代の生活読み取るプロ

 今年で50周年を迎える資料館。次の50年にむけて館を支える学芸員はとても個性的です。まずは2018年に採用された足立望さん。専門はなんと「骨」。大学院では「焼人骨の形質学的研究」というテーマに挑み、出土した骨を計測・観察して、その時代を探るという考古学の専門家なのです。「子どもの頃から古代文明に興味があったんです」という足立さんは、骨が語りかける歴史に耳を傾けます。


保存運動は音頭が作られるほどの盛り上がり。今も踊り継がれています。

 田能資料館にとって2千年前と同じように、50年前に何があったかを探ることも大切な仕事です。「田能遺跡を守る会」をはじめ、保存運動や発掘調査にかかわる様々な資料を読み解き、イラストを入れたパンフレットを作成して視覚的に訴えるのが得意な湊奈穂さん。遺跡や歴史がとても身近にある奈良県内で生まれ育ち、大学院では日本古代史を専攻、細長い木の板に書かれた荷札「木簡」など古代の文字から人々の生の声を探ってきました。


保存運動のアルバムをめくる湊さん。子どものころ歴史まんがが大好きで全巻読破したそうです。

大量の土器のかけらが出土地点別に整理されています。

 資料館には一体どんな資料があるのでしょうか。「土器、石器、骨、木、勾玉など50年前の調査で発掘された膨大な資料が奥の部屋に整理されています」というのは、当館の学芸員の頼れるリーダー・竹原千恵さん。大学時代、各地の発掘現場で嫌というほど調査させられた経験から、一度はOLになるも、歴史への熱い思いと独特のキャラクターに恩師から考古学の世界に呼び戻され、研究所や大学院で考古資料や博物館について学び直したといいます。

 「ここの資料は尼崎だけでなく、摂津地方の土器の基準資料になっているんです。田能の土器が弥生時代のものさしになっています」と胸を張る竹原さん。


これらの埃を落としてきれいにするのも大切な仕事で、多くのボランティアに支えられています。

歴史家じゃなくても楽しめる、空想のススメ

 さらに、他のメンバーから「竹原空想劇場」と呼ばれる彼女の解説は独特です。例えば復元された土器を手にした時の語りはこんな感じ−「ここに焦げがありますね。きっと火をかけたままうっかり忘れてしもたんでしょうね。あちゃ~やってもうた。がっかりした人々の顔が浮かびます」と2千年前の食卓をまるで見てきたかのような“空想”解説が、じわじわとクセになります。

 とはいえ、これはあくまでも竹原さんのフィクション。「古代の歴史といってもそこには私たちと同じような生活があったと思うんです。市民のみなさんに歴史をもっと身近に感じてもらいたい」という思いから、当時の土器から想像をふくらませるのでした。


「土器ならいつまでも見ていられる」というほど土器愛があふれる竹原さん。

 こんな個性あふれる3人の学芸員のパワーでも整理しきれない出土品が、田能資料館にはまだまだ大量に眠っています。「私たちの手だけでは限界」と悲鳴を上げるプロを支えるのは、田能遺跡サポーター倶楽部のボランティアたち。メンバーは絶賛募集中だとか。

 市民による保存運動で守られた遺跡を未来の子どもたちに伝えるためには、50年前の盛り上がりを再び…とまではいかなくても、まずは2千年前の尼ノ民(ただし人骨)に会いに行きませんか。


目の前は気持ちのいい河川敷、サイクリングやウォーキングでどうぞ。駐車場もあります。




 1  尼崎市立田能資料館
〒661-0951 兵庫県尼崎市田能6丁目5−1(Google Map


第5回 土に眠る歴史のかけらをつなぐ人たち

第3回 その記録が歴史になる。アーキビストの仕事

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