「何、これ!」と想像を超えて価値を生む和菓子を

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写真、坂井さんとお店のロゴ
坂井博一さん(43)/「wagashi dokoro 楽emon...(らくえもん)」店主

パティシエから和菓子職人へ


写真、数々の商品が並ぶショーケース

 「コーヒーのわらびもち 生クリームのせ」「宇治抹茶のわらびもち オレンジ風味のホワイトチョコソースかけ」「フランボワーズとチーズ風味のホワイトチョコ生クリーム大福」「4種のドライフルーツを使ったホワイトショコラもち」といった季節ごとに登場する斬新な和菓子の数々。

 商品名や見た目から味を想像できず、一口食べれば「何、これ!」と固定概念を打ち砕く、そんな和菓子をつくる坂井博一さん。武庫之荘にある「wagashi dokoro 楽emon...(らくえもん)」の店主です。

 お店のコンセプトは「もしも外国人が日本で和菓子店をオープンしたら」。そこには、坂井さんの職人歴を基にした架空のお店ストーリーがあります。


写真、店内でインタビューを受ける坂井さん

 「主人公は仏系アメリカ人の青年マーク。来日した彼は、和菓子文化に触れて職人になると決心し、和菓子店で修業を始めました。師匠に『楽門左衛門(らくもんざえもん)』と日本名を付けてもらい、『楽えもん』というニックネームで愛されます。5年後に日本で和菓子店をオープン、それが『楽emon...』です」

 パティシエ歴13年、和菓子職人歴5年半。パティシエ歴のほうが長いため、洋菓子DNAが根付く自身を主人公に置き換えたのです。

洋菓子×和菓子のお菓子づくりを


写真、店内でインタビューを受ける坂井さん

 坂井さんの実家は西難波の和菓子店「昌月堂」。子どものころから職人を目指していたのかと思いきや、「人前で話すのが苦手だから商売には向かない」と思っていたそうです。

 大学受験するも志望校に不合格。「自分の個性を生かせる職人になったら?」という父の一言に背中を押され、職人の道を歩み始めました。

 「親に甘えたくない」と和菓子以外を希望し、今後の可能性に期待して洋菓子を選択。これまで接点のなかった洋菓子から職人人生を始めたことが、和と洋を接合する点となったのです。

 「子どもの頃から誕生日にケーキを食べたことがなく、チョコレートといえば駄菓子。パティシエ修業では『こんなものがあったのか』『チョコレートはこんなにおいしいのか』の連続で、まるで外国に飛び込んだようでした」


写真、和菓子修業時代の写真の前で語る坂井さん

 コンクール入賞、シェフパティシエとキャリアを重ね、独立する未来を描いていたと振り返ります。一方で「このままでいいのだろうか」と模索する気持ちも。そんな時、父が腰痛など不調を訴えるのが気にかかり、実家で修業することにしました。

 和菓子の知識と技術を身につけるほどに、「酸味や甘味、食感を織り交ぜる洋菓子の手法を和菓子にミックスしたら、すごいものができるのではないか」という思いが駆け巡り、2012年に「自分がつくりたいもので挑戦したい」とお店をオープンします。

和菓子を表現方法のベースに


写真、ショーケースに並ぶ数々の商品

 「ケーキやチョコレートを初めて食べた時の衝撃と感動、自分の中に新しい概念や価値が生まれた感覚が、お菓子づくりの根本にあります。お客さまにもそんな体験をしてほしいと考えているんです」

 たとえば、「生チョコ大福」は、パティシエ修業時代に洗い物をしていて、ボールに残るチョコレートを食べた時に『何だ!この口溶けは!』とハッとした体験を表現しているそうです。

 「表現のベースは和菓子。洋菓子は空気を含ませて素材を上に重ねるものだから、見た目で味の想像がつきます。和菓子は空気を抜いて素材を中に包み込むものだから、食べてみないとわからない面白さがあるんです」


写真、厨房に立つ坂井さん

 新作を作る時は「どの素材を主役や脇役にして、いつどの味や食感が登場して、最後にどう感じてほしいか」と味のストーリーを緻密に組み立てるところから始まります。

 「頭の中でレシピや分量も考えて、旨味や食感、後口まで想像します。考え抜いて絞り出したものを試作して、1度でイメージ通りに仕上がらなければ、ボツ。作り直すと、イメージが曖昧になったり、妥協したりしてしまうからしません」

 お店には、坂井さん渾身の和菓子しか並べていないのです。

食に携わる者としてできること


写真、坂井さんと妻の恵さん
店頭に立つのは、坂井さんの妻・恵さん

 お店ストーリーの主人公マークの日本名「楽門左衛門」は、坂井さんが和菓子コンクールで入賞した時の商品名。「尼崎のお店の商品であると、アピールできるのでは?」と尼崎ゆかりの近松門左衛門にちなんで名づけました。

 地元愛を感じるネーミングですが、生まれも育ちも尼崎ゆえに、想いを意識したり形にしたりすることがほとんどなかったと言います。

 再確認するきっかけは、「食の祭典 尼が咲く2016」というイベントで実行委員になったこと。「市内の人にまちをもっと好きになってほしい、市外の人に住みたいと思ってほしい」など熱い想いを持つ飲食店店主たちとの出会いが坂井さんの心を動かしました。

 「まちを森と捉えたら、暮らす人たちは木。まずは自分の木をしっかりと育てることが、地域貢献につながるのではないでしょうか。私の場合は、市外からもお客さまが訪れるお店になれば、尼崎を知ってもらうことになり、更に近隣店舗に足を運んでもらえたらまちの活性化になると考えています」

 こうした日々の積み重ねも、変化も、坂井さんの和菓子には包み込まれていくのです。


写真、店内でインタビューを受ける坂井さん

写真、店内でインタビューを受ける坂井さん

写真、店内でインタビューを受ける坂井さん

写真、季節の大福、取材時はフランボワーズとチーズ風味のホワイトチョコ生クリーム大福

写真、お店の名刺

写真、店名がデザインされた店内のショーケース

写真、お店の内装、ランプ

写真、お店の看板

写真、お店の外観

(プロフィール)

さかい・ひろかず 高校卒業後、1994年から武庫之荘の洋菓子店「リビエール」で修業開始。一時期「他店でも修業したい」と大阪市西九条の洋菓子店「グーテ・ド・アナトール」に移るも、戻ってシェフパティシエを務めた。2006年から実家の和菓子店「昌月堂」で修業。2012年に「楽emon...」をオープンした。和菓子職人である父からお店ではなく、想いと味を継承し、店頭に「しぐれうめ」「きんかん」など定番和菓子も並べる。