夫婦で営むボクシングジムから生まれる、尼崎の連係プレー

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サンドバッグの両脇に立つ、宇久正治さんと理恵さん
宇久正治さん(42)、理恵さん(43)/ボクシングジム経営者

尼崎ボクシングジム外観
最寄り駅はJR立花駅と阪急武庫之荘駅。3階建てのジムは、住宅街でひときわ目立つ

 「尼崎からチャンピオンを!」というスローガンを掲げ、尼崎からプロボクシングの日本王者3人を輩出した「尼崎ボクシングジム」。2代目会長の宇久正治さんと、マネージャーの理恵さんが、ご夫婦で経営しています。

 初代会長は、理恵さんの父・小島祥一さん。プロボクサー引退後、家業の畳店を営む傍ら、1979年に前身となる「尼崎拳闘会」を創立。JR尼崎駅近くにあった畳店の支店を改装した約20坪の狭い空間からスタートしました。

 小島さんは、深夜に駅前でたむろする少年一人ひとりに「エネルギーがあり余ってるんやったら、ボクシングをやってみぃひんか?」と声を掛けて回り、時にはバイクに乗った少年たちに囲まれながらも怯まずに向き合い続けたという逸話まで残っています。


リング近くの壁に掲示する、主催したプロボクシングの試合ポスター
市内を中心にプロボクシングの大会(計35回)を主催

 1993年に現在の場所に移転し、ジム名も変更。プロボクサーをめざすほか、「健康のために」「ダイエットをしたい」「新しいことに挑戦したい」といった目的での入会も多く、これまでの総会員数は3000人以上、プロボクサーを50人以上も育成してきました。

ボクシングジムという居場所


子ども向けコースのレッスンでレクチャーする理恵さん
理恵さんがジムに関わり始めた当初、業界内に女性スタッフは少数で、いろいろ思い悩んだ時期もあったと振り返る

 4人兄妹の長女である理恵さん。同ジムに関わり始めたのは短大生だった19歳の時で、多忙な父の姿を見て手伝い始めたそうです。そのまま関わり続けようと心を決めたのは、元ジム会員の言葉がきっかけでした。

 「『仕事がどん底の時も、ボクシングを頑張った数年間のことを思い出したら乗り越えられた』『思い悩んでいた高校時代に、家でも学校でもない、この場所があったこと、小島会長がいつも通り笑顔で迎え入れてくれたことがありがたかった』。そんな話を聞いて、ジムでのつきあいはたった数年と短いかもしれないけれど、ボクシングはその後の人生に影響を及ぼすんだと心に響いたんです」


リング前に立って取材を受ける正治さんと理恵さん
気持ちを少しでもわかりたいと、できることをし続ける理恵さん。2019年には選手としてボクシングの試合にも出場

 縁あって出会えた“仲間”と言える人たち。ボクサーの気持ちを少しでもわかりたいと思った理恵さんは、2002年に自分もボクシングを経験しようと、父には内緒で大阪市内のジムに通い始めます。

 そのジムの食事会で出会ったのが、正治さんでした。

“仲間”を応援する気持ちで


トレーニング中、ミットを持って構える正治さん
(※運動中の写真について、熱中症等の予防のため、マスクをずらして鼻を出している場面などがあります) 正治さんは小学生の頃に見たプロ選手に憧れ、親に反対されるも説得し続け、プロボクサーに

 食事会が初対面ながら、ボクシングについて知りたい意欲満々の理恵さんは、元プロボクサーであり、技術や身体づくりなど研究熱心な正治さんを質問攻めに。話すうち、意気投合。その1年後に、正治さんは尼崎ボクシングジムのトレーナーになりました。

 「自分の型にはめる職人肌のトレーナーが多かった当時、夫は運動神経も筋肉の付き方も目的も違う一人ひとりに寄り添い、この人にはどうするのがいいのかを柔軟に考えて教えられる、理想の指導者でした」と理恵さん。「僕は現役時代、不器用なほうで、トレーナーから教わってもその通りになかなかできませんでした。その気持ちがわかるから、その人に合う方法を考えるんです」と正治さん。


ジムの事務所内にある資料スペース
正治さんが中学生の頃から収集しているボクシングの資料。他ジムのスタッフが借りに来ることもある

 ボクシングをする目的は人それぞれ。しかし、共通することは「何かにチャレンジしている」ということ。その一人ひとりのチャレンジを応援したい理恵さんと、そのチャレンジに必要なアプローチを考えて提案していく正治さん。

 その2人の気持ちと行動のコンビネーションは、地域にも繰り出されています。

夫婦のコンビネーション


リングに立つ正治さんと理恵さん

 たとえば、地域の小学校の運動会のあと、保護者から「うちの子は走ることが苦手」という話を聞いた理恵さん。子どもたちから運動が苦手という意識を取り除き、小さな自信を積み重ねてもらえたらと、正治さんと走り方を研究し、翌年の運動会前に走り方教室を開講。参加した子が徒競走でゴール寸前に1人を追い抜くなど、苦手意識を乗り越えて諦めない姿を、保護者と一緒に喜んだと言います。

 また、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が初めて出た時、ジムを2カ月間休業することに。そんな中、知人の飲食店が3軒閉店したことを受け、何かできないかと奮起。全国各地でテイクアウトやデリバリーを実施する飲食店の情報をウェブサイトやSNSで集約&発信する「○○エール飯」という活動が立ち上がっていることを知り、尼崎にまだないとわかるといなや、理恵さんは「尼崎エール飯」(現在は終了)を始動しました。
 
 すると、この活動を知った尼崎の人たちがSNSでシェア&情報提供、市職員が見つけて市ウェブサイト掲載、エフエムあまがさきといった地元メディアからの取材など、取組が広がっていきました。中には、新たな支援活動を始める勇気をもらったと話してくれた人もいたそうです。

地域を巻き込んだ連係プレー


リング前に立って取材を受ける正治さんと理恵さん

 「誰かに頼まれたわけでもなく、役に立ちたいというのとも少し違っていて、『居ても立ってもいられない!』と考えるより先に動いてしまっているんです。駅前で少年たちに声を掛けて回った父といい、おせっかい父娘ですね(笑)」と理恵さん。正治さんも「こうと決めたら突き進んでいく姿はお父さんに似ています」と微笑みます。

 父・祥一さんの代から続く“おせっかい”という名の、目の前のひとや出来事への想像力が溢れるからこその「居ても立ってもいられない!」気持ちと行動。それによって、ある人はボクシングを通して生きる軸を見出したり、ある人は何かに一歩踏み出す勇気をもらったり。

 時には、「尼崎エール飯」のように、それぞれが自分にできることを行っていく尼崎の人たちによる連係プレーを生み出すこともあります。


写真、子ども向けコースで、ボクシングをレクチャーする正治さん
小学校低学年向けのコースの様子。現在は6歳から62歳までの110人の会員が在籍し、多世代で交流する場にもなっている

 最後に、これからしたいことをうかがってみると、「強いボクサーを育てるという目標ももちろんありますが、多くの人にジムでボクシングの楽しさを体感してほしい」と正治さん、「子育てに関する相談をよく受けるので、子どもの身体や心の成長に役立つ情報を体系化し、お伝えしていきたいと考えているんです」と理恵さん。

 宇久さんご夫婦の“おせっかい”は続きます。










子ども向けコースの、ビジョントレーニングの様子

(プロフィール)

うく・まさはる 兵庫県たつの市出身、尼崎市在住。18歳でプロデビュー。21歳で引退後、トレーナーに。2017年に尼崎ボクシングジムの2代目会長に就任。尼崎市への引っ越し時の印象として「温かい人が多く、すぐに馴染めた」と話す。

うく・りえ 尼崎市出身・在住。「私にとってボクシングとは人生」と言うほど、ボクシングとの結びつきは深いが、小学1年生の時に父・祥一さんから「チャンピオンになれ!」と指導を受けていた一時期は嫌になったそう。

 

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