尼崎の「まちの本屋さん」がつくる「コバショ(小場所)」

  • PEOPLE

写真、「小林書店」店主の小林由美子さんと、その娘の渡辺愛さん
小林由美子さん(70)、渡辺愛さん(47)/小林書店

たくさんの逸話がある「まちの本屋さん」


写真、お店の外観

 JR立花駅北側にある商店街のアーケードを抜けて、さらに進むと、青いひさしのある「小林書店」が見えてきます。

 10坪ほどの店内には、手書きの紹介文が添えられた選りすぐりの本をはじめ、「本屋さんになぜ?」と疑問が湧く、「傘」が本と同数ほど並んでいます。


写真、店内の様子

 昔ながらの「まちの本屋さん」ですが、作家から「小林書店で講演会がしたい」と指名されたり、出版社社長が東京から訪ねて来たり、取引先の傘メーカー社長の著書に登場したりするくらい、さまざまな逸話がある書店なのです。

「継ぐ意思ゼロ」からのスタート


写真、店内で取材を受ける由美子さんと愛さん

 小林書店は店主の小林由美子さんのご両親が、1951(昭和26)年に創業しました。

 「戦後の復興に向かう時代に、年中無休で早朝から深夜まで働いてきた両親に感謝しながらも、大変さを知っているから商売だけは絶対にしたくなかったんです」と話す由美子さん。

 高校卒業後、大手ガラスメーカーに就職し、22歳の時に夫の昌弘さんと職場結婚。専業主婦となり、市内の社宅で暮らし始めたものの、「少し手伝うくらいなら」と実家に通ううち、娘の愛さんが生まれて1年後にはご両親と実家で暮らすようになっていました。

 「継ぎたくない」と頑なだった由美子さんの心を動かしたのは昌弘さんでした。転勤の辞令が出た時、昌弘さんが「このまま家族がバラバラになるより、一緒に暮らすほうが死ぬ時に後悔しないと思う。本屋さんを一緒に継ごう」と覚悟を決めたことで、由美子さんの心も決まりました。

「まちの本屋さん」を続けるために


写真、本を持って話をする由美子さんと、いすに座る愛さん

 由美子さんと昌弘さんの試行錯誤の日々が始まります。

 たとえば、一般的な流通システム上では「売れるお店=大手書店」ですが、そうではない小さな書店には、新刊やベストセラーが入荷しにくい状況があり、売りたくても売ることができません。

 しかし小林書店では1980年代当時、大手出版社が相次いで発行していた料理全集や童話全集といった「全集」であれば、発売前に取った注文数を確実に仕入れられたので、売上全国上位になるなど実績を残し、出版社の信用を得て、売りたい本を取り扱えるようになっていきました。


写真、店内の「話題のあの傘あります」というのぼり

 1995年の阪神・淡路大震災では店舗が半壊。再建のため、本以外の収入の柱を模索していたところ、雑誌で傘メーカー社長のインタビュー記事を読み、「安くて良質な傘を日本中の人に持ってほしい」という想いに惚れ込み、即問い合わせ。

 営業担当者から「書店での販売実績がないし、立地面でもリスクが高い」と説得されるも、「あなたの会社の傘を取扱う最初の本屋になります」と宣言。雨の日が1日もなかった初めの1週間、台車に載せて商店街を売り歩き、250本もの傘を売り切り、早々とメーカーからの信用を得たのです。

創業から68年、「信用」を積み重ねて


写真、話す由美子さん

 「両親がこのまちで積み重ねてきた信用を壊したらいかんと思ってきました」と由美子さん。

 お客さんに嘘をつかないため、由美子さんが自信を持ってすすめられるものしか取扱っていません。いずれも作家や出版社、メーカーが精魂込めてつくっているものだから、由美子さんも思いを受け止めて販売しています。

 おすすめのポイントをまとめた手書きチラシをつくって店頭や配達時に説明して手渡したり、子どもたちに読んでほしい本を学校の先生に提案して回ったり。お店では、由美子さんが一冊一冊について作家紹介やあらすじ、心に残ったエピソードを熱く語ってくれるため、思いがけない本や作家との出会いがあります。


写真、由美子さんが描いたブックカバー
親交のある作家さんの企画で、由美子さんが撰書した本の頒布会を開始

 「新刊もベストセラーもないけれど、販売員として新しいものは知らせる必要があると思ってきましたし、『小林書店のベストセラー』をつくろうという気持ちでやってきました」と由美子さん。

 由美子さんと昌弘さんを中心に信頼関係で結ばれた人たちが、本や傘を介してつながる場所になっています。

「コバショ」の愛称で親しまれた店を、まちの「小場所」へ


写真、話す愛さん

 由美子さんと同じく、店を継ぐことを避けてきた娘の愛さんですが、2018年から毎日店番に立つようになって、改めて思ったことがあります。

 「『お母さんは?』と尋ねて来てくれる人や『本を選んでほしい』と市内外から来てくれる人がいて、たくさんの人たちに愛されているんだって。母も父も70代、これから先も続けるにはどうしたらいいのかを考え始めてしまったんです」と愛さん。


写真、「コバショのまちかいぎ」の様子

 愛さんは「みんなの尼崎大学」学生相談室や市内の活動拠点、イベントなどに足を運び、そこで得たアイデアをもとに、お客さんとの距離を縮めるために店内で紅茶を振る舞い始めたほか、愛称「コバショ」と「小場所」をかけた「コバショのまちかいぎ」を2019年5月からスタート。

 「たくさんの人の意見やアイデアを聞いて『自分たちのまちの本屋さん』として親しんでもらえる場所にしたい」と、「ひさしの下にベンチを設けよう」「まちの人たちがやってみたいことを実現しよう」など、愛さんが中心となって取り組んでいるところです。

 この先、ここに集う人たちの想いが、このまちにどんな「コバショ(小場所)」をつくっていくのでしょうか。


写真、寄り添う、由美子さんと愛さん

写真、笑顔の由美子さんと愛さん

写真、笑顔の由美子さん

写真、正面を向く愛さん

写真、ブックカバーを付ける由美子さん

写真、お客さんに対応する愛さん

写真、本を紹介する手書きポップ

写真、由美子さんが撰書した本の頒布会でブックカバー裏に印刷されている「本に恋する店主の呟き新聞」

写真、お店の前の看板には「本日の献立」を掲載

(プロフィール)

こばやし・ゆみこ 子どものころから本が好きで、「国語の先生」をめざしていたが、家庭の事情で断念。最近まで「店内に紅白の幕を張って、みんなに感謝を伝えながらお酒を振舞って閉店したい」と考えていた。

わたなべ・あい 大阪市内や関東に住んでいた時期もあるが、2011年に再び尼崎へ。「夢新聞」認定講師や「みんなのサマーセミナー in Amagasaki」でセンセイを務めるなど、地域活動にも積極的。